下北沢讃歌
元住民より
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初めてあなたの名前を聞いたのは確か15歳の頃だった。まだ、常夏のシンガポールで、当時中2病の発症期に患う毎日を送っていた。
あの頃は「日本」というものに無我夢中だった。「うたばん」と「Hey! Hey! Hey!」などのバラエティー に加え「ブリーチ」のようなアニメを、字幕なしで多分毎日平均2時間。知らない単語が出てくるとすぐに辞書を引いて単語帳へ。
あなたの名前を最初に知ったのは、今でも健闘中の「カウントダウンTV」で現れた。やはり、日本中毒になっていた自分にとって、普通の音楽番組が扱っていたTOP TENに物足りなさを覚え、その番組を毎週食い漁るように見ていた。
敏感少年団 – サウンドオブ下北沢
確か、ある週に17位ぐらいの曲にあなたが現れた。
初印象
いうまでもなく、地名が出てくる歌はの大半は演歌。我がカラオケの十八番の「津軽海峡冬景色」のように。
それか、大都市。「東京」。「好きやねん、大阪」。都市の地域名が歌の主題になったとしても、 きゃりーが唄う原宿のような外国人観光客でも知っている地名とか、強いていうと丸の内までが普通だろう。
当時の僕には、そこぐらいもわかっていた。だけど、偶然現れたその曲に、聞いたことがない地名。まして6文字。普通の外国人だったら「イケブクロ」を覚えるぐらいは精一杯なのだろう。
だけど、中二病の症状である変な特別意識を持っていたかもしれない。普通の外人が知らない・知りようがないところを我こそが調べきるという気持ちが芽生えた。
ググった。ものすごくググった。
中古服 : 面白い!
若者の集い : いいね!
インディーズ音楽:んー微妙だけど、作っている人はおそらく(いい意味で)バグっている。
サブカル ー ビンゴ!!!
なんだかんだ、頭の中の「お気に入り」リスト保存。
接近
中学校を終え、高校も卒業。日本中毒症は緩和しつつあるも、その「後遺症」で人生の弧はまだ日本に向かっていた。その中で、多分東京。その中の、ひょっとしたらあなたに着地点が描かれていた。
だけど、その弧も一筋縄に行かなかった。軍役で2年。そして大阪のある秘境 で過ごした1年間の回り道も。
だけれども、あなたに初対面できたのは、その「毎度あり」の生活の時だった。大阪から東京へ、3500円の夜行バスに乗り、寝不足に苛まれながらも東京に着いたらあなたに会おうと思っていた。
多くの場所は建築中につき、若者の街らしからぬ灰色が多かった。井の頭線と小田急線のややこしさ。そして、昼姿のあなたは、いうってそんなに面白いわけではなかった。
こんなもんか、と思った。だけど、頭の中で、自分の目から逃れているあなたの本当の姿があるという薄々とした疑惑も。渋谷や新宿の「わかりやすい大袈裟さ」に比べて、あなたにはザ・東京には珍しい「ローカル感」があった。通りすがりの人が覗けない、至近でしか見えなかった彩りの存在。
入港
回り道を終え、やっと「府民」から「都民」へ。大学は駒場だったことにつきあなたからは2駅。通学の途中であなたを通過することは必然的になり、車窓から駅真横のビルに、恋愛占いの看板広告を眺める毎日。
それで「通りすがり」からあなたの「周辺人」へ昇格した。学校からの2駅の距離に加え、あなたにあったいろんなものはとにかく安かった。どうも、サブカルの人のお財布は滅多に肥えていないね。
それで、我々学生にとってもあなたは格好の街だった。ピンポンを押した後、店員さんが来るまで10分かかる安い飲み放題。30分につき10円のカラオケ。カフェでガリ勉東大生生活。
現在のカフェイン中毒は、ひょっとしたらあなたが元凶?
やがて、元々大学の寮で住めた2年間の期限が終え、引越しが迫った。そして、三鷹に手放される瞬間に、あなたの引力に引っ張られた。
2014年12月27日、あなたの一部になった。
潜り込み
一番上にあげたサウンドオブ下北沢では、下北沢住まいで家賃が月額8万円の彼女が主題になっていた。
僕の家賃は、管理費込みで5万9千。電車で渋谷まで5分、新宿まで10分の距離でその値段で家が見つかったことが奇跡だと思っていた。築年35年の、洗濯機が共用だったところなんだけど、コスパ抜群。学生が払えたコストの範囲内のコスパでいうと。
だけど、このコスパに対する固執は、ひょっとしたらあなたの深みを理解することを長い間阻んでいたかもしれない。インディーズ音楽とは別、あなたは確かにインディーズコーヒーで有名だった。だけれども1杯数百円より、1リトル2百円未満のペットボトルコーヒー。中古服よりも、インターネットで購入できる外国産の服が安かった。外食より、チャリ乗って笹塚の業務スーパーに行ったら「冷凍食品大放出」。
だけれども、当時のビンボー学生生活でも、30分ごとの10円カラオケや、あまり飲めない飲みほーは助かった。たまにゲーセンも。たまに外食していたときにも。
だけど、あなたに住んでいた前半は、バイト漬けの学生生活や、リモートワークに断固反対だったITベンチャーに勤める生活が原因で、僕にとってのあなたはベッドタウンに過ぎなかった。
深堀り
やはり、「住民」と「生活者」とはほとど遠いもの。
前者から後者に移行したのは、初任をやめ在宅をし始めたときだった。ただ、それにしても16平米はあまり仕事適しない環境だった。
まあ、在宅を英語でいうと、「ワーク・フロム・ホーム」だよね。「マイ・ホーム・イズ・下北沢」は別に嘘ではない。等式で「ワーク・フロム・下北沢」になった。
そして、あなたは実は「ワーク・フロム」に非常に適したところだった。
毎日ランチに出かける。新しいところを開拓。注文した後にパソコンを開く。食べ物がきたら片手にスプーン、片手をキーボードに。ノマド・ワーカーもサブカルの一種なのかな?
その繰り返しを経て、やはりあなたは高齢化している日本の中のオアシスだという存在に気がついた。その証に、毎日通った10席未満のラテ屋や中古服屋。全品700円で「出る杭」のスティックアウト。
ブランディングの烙印
10年近く日本に住んでいる自分は、日本で初対面の世間話のテンプレがあることは勿論わかっている。そのテンプレ質問の中に「どこに住んでいるの?」という問いは、結構高いランクに入っていることもわかっている。
「下北沢です」
回答もだいたいテンプレ通り。ファストフードの1分で出されているハンバーガーのようなものだ。上のパンは「へーー」、下のパンは「〇〇なところだね!」。真ん中のハンバーグたる〇〇は任意の形容詞で代替、肉を惜しんで中を膨らましたい場合は「そうなんだ」というパン粉を追加。
そして、住んでいた中によく聞いた〇〇のリスト:
- 「賑やか」
- 「学生の街」
- 「うるさくない?」
- 「治安大丈夫なの?」
- 「お洒落」
- 「便利だね!」
- 「家賃高いっしょ?」
- 「お洒落」
- 「お洒落」
- 「お洒落」
この「スタイルがいい」、「最先端」そして何よりも「インスタ映え」のニュアンスが入り混ざっている「お洒落」という言葉。そして、年々だんだんあなたの名前に付いてきたその言葉。
ただ、「お洒落」の街に関しては一般的に「治安大丈夫なの?」という質問はありえないだろう。
諸行無常
一昔前、小田急線がまだ地上を這い、あなたを真っ二つにした時期に、どうやらあなたは貧乏な学生・夢で空腹を満たしているのバンドマンの砦だったらしい。延長線を引くと、ひょっとしたらコストパー型アル中も?
よって治安の話が出たかなと思った。
でも、今時高円寺は全く同じヅラをかぶっている。長く考えると、そのような貧乏人の砦でいられるには、あなたが便利すぎたかもしれない。
だって、あなたが一番右上を占めているのは、「リッチピープル」の世田谷。小田急・井の頭線それぞれで2駅の距離に、本当は上流階級だらけだけど、中流階級ぶっている駒場と上原という二つの街。
英語圏では「ジェントリフィケーション」という都市社会現象がある。要するに、お金持ちの人が住み着くことによって地域の株が上がることだ。
ただ、日本は人々がなるべく「共働きだよ」とか、「これでも息子は公立よ」とか、中流階級的な謙遜さを是としている社会だ。そのような社会においては、ジェントリフィケーションというプロセスが起きにくい。そうではなく、あなたを風靡したその風潮は「オシャレフィケション」と呼ぶべきだろう。
車線が地下へ消えていったことに連れて、あなたのアングラがだんだん地上に浮上してきた。それを早めに気付いたスタバは、今はお洒落の最高峰なるスタバリザーブの第二店舗を下北沢へ。スタバではないもともと一杯200円のコーヒーの数が減り、その代わりに一杯550円のタピオカ。
観光客もだんだん増えた。が、僕自身は一部の責任を負わないといけないのでとても文句を言う立場ではない。
サイゼも日高屋も2019年閉店。若者の街を称する街に、サイゼがなくてたまるものか?
言っておくけど、200円コーヒーはまだ健在している。30分ごとに10円のカラオケはまだ健闘中らしい。学生証を奪われ社会人になってからは20円だけど。
ただ、印象的にもともとブランドレスの中古服店の棚に、いつの間にか中古Zaraや中古Gucchiが並び始めたのは自分の気のせいかな…
盛者必変
文句に聞こえるかもしれないけど、あなたにまつわっている一連の変化はは別に悪いことだと思っていない。ものは若くい続けるために、絶え間ない変化が必要だということには少し皮肉を感じるけど。
余談であるが、もともと西南方向の地上車線があったところに、カフェとレストランを羅列している北欧風(?)の、ボーナストラックというお洒落スペースがつい今年できた。トラックは車線でもあり、「歩む道」とか「捗り」という意味も持っていて、非常にいいネーミングセンスだと感じている。
ひょっとしたら、僕の目に入ったのは、2010年代版のあなただった。2020年代に入っている今や、あなたは脱皮しつつあるも、あなたの次のトラックを模索しているかもしれない。
別に、それでいいと思う。本当は、町田寄りなど、世田谷にはリッチピープルが住んでいない場所が多く、老朽化と空き家問題とかが深刻だ。あなたの日進月歩はその灰色の波に対する抗いなのであればそれでいい。
ただ、20年代に入り、そろそろ20代卒業している自分もいる。学生の頃16平米でもよかった自分は、卒業後その16平米に窮屈感を覚え始めた。ヤドカリが新たなか殻を探す潮時だと感じた。
舵取り
2020年7月20日、新宿区曙橋へ新たな殻についた。新居の地域はいうまでもなく、あなたのお洒落さの比べに全くならない。
別にあなたに対する「一生おさらば」ではない。通っている美容院はまだそちらにあるし、そして片道25分の距離は決して遠くはない。30分に20円のカラオケや、あなたのコーヒーを嗜み続けることは約束できる。変わるのは頻度だけの話。
この駄文を書いたの理由の半分は、とりあえず受け入れてくれていることに対する感謝を表したいからだ。ただ、執筆の動力になった残りの半分は自分でさえもよく表せない。
あなたがお洒落になった前の姿を綴りたかったためなのかも?それとも喪失感?けれどもあなたに対してなのか、あなたが象徴する6年間の月日に対してなのか…
引越し屋が来る直前に、突如湧いてきた好奇心のあまりに、出る部屋をググってみた。今や家賃月額6万7千円。ビルが築年数を重ねて家賃が大体下がる一方の日本においてだ。
あなたに住みはじめた時期は、ひょっとしたらいいタイミングだった。その時から、あなたは自分の持っていた手札をよく使って、株が上がる一方だし。
もう、あなたの住民ではないけど、「下北沢」という名前を聞くと懐かしい気分が湧く。「そういえばあそこ住んでいたよ」。今後も、少し遠くからあなたを眺め続ける。あなたぐらいの賢さだったら、今後も手札を巧みに使って、朽ちることなく繁盛し続けるだろう。
だけど、今はあなたも僕もしばらくはそれぞれ、自分のトラックを模索することに徹していると感じる。そして、始まりは闇雲の覆われたが、それぞれセカンドトラックに乗っていてより明るい2020年代へ。
そして、セカンドを終えサードに進んだ時期に、また巡り合ってあなたへ戻るかもしれない。あなたと僕の人生の車線が交差を許す限りにね。だけれども、今はほどの良い距離でお互いを見つめ合うでいいかと思っている。遠すぎず、ほどの良い距離で。